みなさん、こんばんは。川崎市議会議員(宮前区選出)の矢沢孝雄です。
今日は仕事の話ではなく、たまーーーぁーーに本ブログでも掲載している子育ての話です。
※市議会との仕事とは殆ど関係ないですし、地域の話でもありませんので、あしからず。
子どもも1歳半を過ぎ、しっかり自我が芽生えてきました。いくつかの言葉も話が出来るようになりました。
多くの親も子どもが出来たことによって、子どもの成長と同じように様々な面で成長します。当方自身も前職の企業勤めだった頃には関心が低かった”お金”の知識を、子どもが出来てからというもの貪るように勉強しました。
議員になって失った安定
「市議会議員になって失った安定」はあくまで個人的な考えに基づいています。上場1部のいわゆる大企業勤めの頃には、「お金」や「税金」に対し、知識武装をする大切さにあまりに無頓着な自分がいました。
例えば、
- 毎月の給与明細は右下しかほぼ注目していなかった
- 引かれる税金は大いなるルールなので、「そういうもんか」としか捉えていなかった
- 給与自体も安定し上昇していたので、気にせずとにかく仕事に150%のパワーを費やしていた
- 帰宅はほぼ深夜。土日の片方も出社していたが、自分自身とにかく仕事が好きでやっていた
- 家に帰っても休日も「仕事脳」。自身の生活をどう豊かにするというのは、二の次、三の次状態だった
- 地元行事、友人等との時間は大切だと理解しながらも、仕事が絶対優先だった
簡単に言うと、こんな感じでした。よく言えば、気にしないでも良い額をしっかり頂いていた認識がありました。
そこから、現在続けている市議会議員として仕事をする中で、20代の頃には考えもしなかった”お金”に関する知識の必要性を強く感じました。それは何故か?
ずばり、議員という仕事が「不安定」であり、前職以上に金銭面で苦労するからでした。
インターネットが普及していなかった時代とは異なり、情報が簡単に手に入る時代となり、議員の金銭面に対する見方も変わってきた印象を受けていますが、まだまだ実態として理解されていない部分もあるのが現状です。
現在、市議会議員はどうかというと
- 企業勤め時代には無かった支出がわんさか
- 所得だけは比較的多い為、助成等の各種制度はすべて所得制限を受ける(こども手当や小児医療費などは勿論。その数は非常に多い)
- 退職金は無く、年金も無い(国民年金)
- 福利厚生施設等も無い
- 経費という概念がほぼ無い
- 4年に一度は選挙がある
経費は無いって、でも政務活動費があるんでしょ?という声も聞こえてきそうです。政務活動費は、各自治体によって運用規定やその額は異なりますが、川崎市議会においては「議員の第2の財布」と言えた時代はとうに過ぎ去り、その運用は非常に厳しい運用ルールと監視のもと、使っているのが実情です。詳しくは、本ホームページ上の動画を御覧ください。
では、逆に得られたものは何なのか。
※一社会人として得られたと思う個人的な観点です。市議会議員だから得られたものというわけではありません。
失って得られたもの
儒教の基礎的政治観として、「修身斉家治国平天下(しゅうしんさいかちこくへいてんか)」という言葉があります。
(天下を平らかに治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて次に天下を平らかにするような順序に従うべきである)
仕事においても、プライベートにおいても、「自分が身を置いている環境を正しく理解し、やっていかなくてはならない事を整理し、着々とこなしていくことで成長していくこと」が求められると考えています。
自分を修める為には?家庭を整えるためには?この基礎の視点を、安定を失う環境で初めて強く意識し、熟考を重ね、日々実践するに至りました。
当方自身の能力が低いからこそ、遅くなってしまった考え方だと思いますが、、、。いまは寧ろ、感謝の気持ちの方が大きいです。
例えば、「お金に対する基礎知識と学び続けるという意識」。
これは、税理士や専門家の話を聴けば身につくものではなく、自分の頭で考え、身につけていく必要のある力だと思っています。
仕事視点においては、「税」について考え、学び続けていくことは国そのものを考えることにも繋がります。また、プライベートにおいては、お金を「稼ぐ、貯める、増やす、守る」こういった家庭を守る為の考え方が身につきました。
社会全体の流れに意識を向ける事が、常態化したことによって広がってきた選択肢や、仕事や人間関係に活かせる部分も出てきました。さらに、地域に目を向け、関係を深めていることで私だけでなく妻子が生活していく上でも、住みやすい環境につながっています。
「得られたもの>失ったもの」、こういったマインドセット自体は人それぞれの価値観ですが、少なくとも私は今後自分自身が、仕事においても、プライベートにおいてもどう成長する必要があるのか、こういった骨格が出来たという意味で、”お陰”で得られた感覚が非常に大きいです。
今回は政治や仕事といった視点ではなく、ほぼほぼ私的なことでつらつらと駄文を失礼致しました。
「何かを踏み出すことで、失うことで得られるものもある。」
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。